ヴィパッサナー瞑想体験記 ~体験としてパンニャってきたよ~ 第五話

ヴィパッサナー瞑想体験記 ~体験としてパンニャってきたよ~ 第五話

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ヴィパッサナー瞑想体験記 ~体験としてパンニャってきたよ~ 第一話

 

◆第五話 瞑想状態を追い求めると、より離れていく葛藤の4日目

 
体の中をゴリゴリとした何かが波のように動き、
その身体波動が収まることで、心もなんだか収まる、という不思議な感覚を得た3日目であった。

なんだかわかったかも、と感じて眠りにつき次の日の朝。
この日から「ヴィパッサナー瞑想」が本格的にスタートする。

 
やり方がいつものようにテープでガイドされていく。

 
「体の中に生まれる粗削りな感覚や微細な感覚に意識を傾け、
抵抗するというわけでもなく、渇望するのでもなく、ただ見つめる」

 
というゴエンカ氏の指導を聞き、

「あ、それって俺、昨日やった感じだ」

と、なんだか予習をしたような感じで余裕がある自分。

 
ならば、瞑想にただ集中していけばいいのに、
この余裕の感じは、自分の中に不思議な執着を生み出していったのだ・・・

 

まずは他者への執着だ。

 

その他者は、自分の右斜め後ろに座り、昼間は激しい咳と変な溜息を浴びせ、
夜中は歯ぎしりと寝言を浴びせてくる。

 
そう、ハギスだ。

 

いい感じで入りそう(瞑想の感覚に)なときに、

ゲホゲホ!

心が平穏な感じで落ち着いているときに、

フーーーーーーーーーーーーー とため息。

 

イライラと、腹立ちとが、湧いてくる。

その感情は、へその奥の方に、
ズワンと重いような身体の感覚と共に湧いてくる。

 
なんだか前よりも、イライラの感覚が鋭敏になっているのだ。

 
ハギスに僕はこう思ってしまう。

「体がそんなつらいなら、もう帰ったらいいじゃないか」
「ていうかなんでいまだにマスクしないんだよ」
「そのため息、まじでイラつく!!」

 
うーん、とても心が平穏とは程遠いよね。

ちなみに、ハギスはさすがにその日、アシスタント講師から
「マスクをしなさい」と指導を受けていた。

聖なる沈黙のため、直接伝えられず苦しい思いをしていただけに、
これでこの問題は「表面的」には解決した。
あとは僕の心の持ちようだ。

 
そう、他者がどうかという前に、自分の心のあり方。

お気づきのように、
この他者への執着の根っこには、自分への執着がある。

 
それは、「瞑想状態に早く入りたい」という渇望だ。

渇望が苦悩を生み出す、と夜の講話で聞いたような気がするのだが、

まさに、

「感覚を知ってしまったからこそ、そうなれないことに苦しむ」

状態に僕はなっていたのだ。

 

ゴルフで「わかった!こうだ!」という感覚を得ると、そうなれないことに腹が立つ。
サーフィンで「あ、これかも!」という成長を感じると、そうできないことにいらだつ。

知らなければ、たどり着かない苦悩なんだけど、
人は、どこまでいっても、苦悩にまみれるんじゃないか、
そんな螺旋階段をずっと上がり続けるんじゃないか、なんていうイメージが頭の中で沸き起こる。

 
昼休みの間、先生に個人的に質問をできるのだが、たまらず僕は聞きに行く。

 
「実は、きのうこういう体の感覚があったのです。
まずは、この感覚って、瞑想のやり方として合っているんですか?」

と聞くと、

「それは、いい方向に瞑想が進んでいると考えていいでしょう。
ただ、その粗削りな感覚だけに慣れてしまうと、
微細な感覚に気づくことができなくなってしまいます。」

 
という答えが返ってきた。

 
「ありがとうございます」とお礼を伝え、
瞑想ホールを出て、昼休憩の恒例である、
「庭をぐるぐる散歩する」
をすることにした。

競歩のように、腕を振り、ただひたすらに回る。

すると、自分の中で思考が整理されはじめる。

 
先生のアドバイスを受けて、僕はこう感じた。

まずは「これでいいんだ」という安心を得た。
でも、粗削りな感覚に慣れすぎてはいけないという問いを得た。

そうか、この粗削りな感覚、
僕で言うと、ゴリゴリっと体を波動が駆け巡るのは、

「キター!」

というのがとてもわかりやすいから、
どうしてもこれが来ないと「キタ」「入った」っていう感じがしないとおもっていたけど、そうじゃない。
それは「来なくても」いいんだ。

 
それが「来る」のを待つんじゃなくって、
ただ、自分の身体を見つめるってことが大事で、
結果的に何が来るかは、まあどうだっていいんだな。

 
と受け取ることにした。

 
この日の午後から、本格的なヴィパッサナー瞑想に入っていって、

頭のてっぺんから、足のつま先まで、意識をめぐらす中で、
自分の身体に起こるいかなる微細な変化に注意し、気づき、
変化に抗うのでも、渇望するのでもなく、
変化をただ見つめる

ということをひたすらに続ける。

それはこの前の日までの、「呼吸をただ見つめ続ける」アーナーパーナー瞑想に比べて、退屈ではない。
というかアーナーパーナーはほんと苦しかった。

ヴィパッサナー瞑想は、自分の身体の声を聴くっていうことのような気がして、
自分の身体と仲良しになる感じがしてくる。

 
ただそれでも、2時間ひたすらに座り続けるのは、やっぱり修行だよ。

 
修行生活も4日目。
夕方のフルーツにも飽きてきた。

そんな毎日リンゴばっか食べられねえよと、いう思念が湧いてくる。

昨日の夜、腹がずいぶん張ったのは、
「リンゴと牛乳」の食い合わせが悪かったからじゃないか、
と考える。

今日はリンゴはやめておこうか、と思いをめぐらし、
瞑想への飽きも自覚してきたころ、17時の鐘が鳴る。

 
17時の鐘は、感覚的に1日の終わりの鐘。
実際はこのあと講話とグループ瞑想があるんだけど、
自分で自分に向き合う修行的なのはこの17時で終わりな感じがする。

だから、僕もこの鐘がなって、食堂に向かうときは、
ちょっと解放感がある。

さて、フルーツでもとるか、と思いながら階段を上がると、

なんと今日はバナナしかない。

はーリンゴもない、オレンジもない。

 
「リンゴばっか食べられねえよ」っていう声が届いてたんだろうか。

オラこんな村いやだ、と思った4日目の夜であった。

 

さて、ここまでで

「ヴィパッサナー瞑想ってそういうものね」

というのが読んでいる人にもなんとなくわかったことであろう。

 
しかし、体験的にパンニャったと言うからには、ここでは終わらない。

「ああ、そういうことね」とわかるだけなら、
3日間~4日間でいいかもしれない、

でも、ここから、まだ「ふた波」あるのだ。

 
ああ、だから10日間なんだな、と思わせる話が書けるよう、
ヴィパッサナー作家としてがんばるわ。

更新が10日間くらいあいちゃって、
ひさしぶりになってごめんちょ。

 

つづく。。。

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