麻布高校のDNA その2

麻布高校のDNA その2

麻布高校のDNA その2

麻布高校のDNA、という題名で以前Facebookにエッセイ的なものをアップし、

ネット上とリアルで多くのコメントをいただきました。

ありがとうございます。

記憶の宝箱を開けてみると、いろいろと出てきました。

ほとんどゴミ箱のような状態ですが、

開けてはネット上にさらけ出していきたいと思います。関係諸氏ごめん。

 

麻布高校のDNA。

DNAというからには世代を超えて受け継がれているものがあるわけで、

日経新聞で麻布高校OBの山下洋輔氏のやんちゃな「履歴書」を読むにあたり、

僕は「なんだよ、40年上の先輩もやってることは同じだな」と思ったわけです。

 

グロービスつながりの方にも10個くらい上の先輩がいらっしゃるのだけど、

その方が前回のエッセイに寄せてくださったコメントを読むと、

「完全にシンクロ」してしまう自分がいるわけです。

 

だから少し考えてみました。

麻布高校という組織を形作るDNAとはどんなものなのかと。

 

定義をする場合の枠組みは大体3つ、

とグロービスのクリシンで習ったわけなので、3つひねり出してみました。

するとですね、割と私はすごいことに気づいてしまったのです。

もしかするとこの枠組みは、かなりオリジナリティがあるかもしれない。

もしかすると、この枠組みと麻布高校を結びつけて一冊の本が書けるかもしれない。

そして今、僕は読者のハードルを上げてしまったかもしれない、と。

 

1つ、多様性を徹底的に尊重する。

2つ、タブーを作らない。

3つ、ただし徹底的にアタマのいい奴を集める。

 

僕は働きごこち研究所という会社で組織活性コンサルティングの仕事をしているのだけど、

この3つの枠組みを思いついたとき、

「これって最高の組織を作るための条件と同じじゃん」と気づいてしまったのです。

 

この枠組みが当てはまる企業としてアタマに思い浮かんだのは、リクルートとGoogleでした。

この2つの企業は、

「強い個性を持ち」、

「徹底的に優秀な個人」が、

「前例を否定し続ける環境」の中で、

「ぶつかり合い、リスペクトし合い」ながら、

イノベーションをし続けることを強みとしています。

 

そして、リクルートもGoogleも徹底的に「採用」に力を入れています。

とにかくアタマのいい奴を集める。

その上で、タブーを設けずグッチャグチャな環境の中で、

個人がぶつかり合って、それぞれが勝手にブレイクスルーして、会

社全体がぐんぐん進化していく。

これって、麻布高校の雰囲気と同じだなあと。

 

学校も企業も組織であることは同じなわけで、

はじめに「理念」があって、「求める人物像」があって、

理念に共感する人を集めているうちに、

そういう「組織文化」ができあがってきて、

長い期間が経つうちにそれは「DNA」になっている。

 

ここまで書いてみて、大学では「校風」とかそういうのがよく語られているけど、

旧制高校を除いて、

いわゆる高校では「校風」みたいなのってあんまり語られていないなということに気づく。

だって、麻布だって結局は「御三家」とか言われちゃってるように、

「偏差値」だとか「東大入学数」だとかで世間からは評価されているわけだけど、

当の麻布生からすると、「自分たちの学校は偏差値が高い」という認識はないわけで、そこが面白いなと。

 

あれ、今日まじめだ。オレまじめじゃん。アカンアカン。

ちょっと脱線します。戻ってこれる自信ないけども。

 

先述の3つの枠組みの検証はまた後日のエッセイに譲るとして、

今日は「組織のDNA」が形作られるにあたり重要な要素である

「立地環境」について語りたいなと思います。

 

ネットベンチャーがスタンフォードのある西海岸で育ったように、

麻布生もまた「麻布」というハイソな町で育つことによって

ハイソな人間に育っていくのです、というのはまったくの嘘で、

「広尾」「六本木」というセレブな町並みにおいて、

「ホームにへばりついたガム」扱いされていたのが麻布生だったわけです。

(村上龍の「69」みたいな書き方を、ちょっとだけしたかったわけです。)

 

たとえば、学校の真向かいにあるのはマダガスカル大使館だったわけです。

ちょうど図工室の真向かいだったのですが、

図工室の窓から、外交官の子息らしきガキンチョたちが遊んでいるのが見えるわけです。

どちらから吹っかけるのか知りませんが、彼らと麻布生はいつもケンカをしていました。

といっても向うはおそらく小学生。

こっちは「偏差値の高い」中学生な訳ですからまじめに相手にするわけがありません、

というのはまったくの嘘で平気でFuck youとか言いながら中指立ててしまうわけです。

おー、既にグローバル。

国境を越えた汚いヤジの応酬は、数日を経て大使館側からの「誠に遺憾に感じる」というクレームに

形を変えるのでありました。

 

麻布高校の最寄り駅は地下鉄日比谷線の「広尾」駅と「六本木」駅。

僕はそのどちらからも通ったことがあるのですが、あれは中3から高1くらいのことかしらん。

六本木駅から朝の通学途中、酔いつぶれた若者という夢のカケラを横目に、

僕はテレビ朝日の駐車場の中をショートカットしていたのでした。

当時はまだ六本木ヒルズができる前。

テレビ朝日も移転してませんでしたから、

ミュージックステーションの撮影日にはジャニーズの追っかけ達が必死な顔で

出待ちをしているような感じでした。

セキュリティもアマアマでしたからね、駐車場なんかを歩けちゃうわけです。

ほら、麻布は私服ですし。

 

「芸能人いないかな」とキョロキョロしながら歩いているわけですよね。

するとね、僕は銀色の大型ベンツにひかれそうになるわけです。

割とスレスレのところでよけた僕は、

イラっとしながらフロントグラスからその不埒な運転手の顔をにらみます。

すると恐ろしい形相で睨み返してくるオバハンが目に入るわけです。

その人は「りえママ」。

当時、貴花田と電撃婚約破棄会見をし、

サンタフェで僕ら麻布生にしばらくジャンプを読ませなかった、あの宮沢りえのお母さんですね。

 

グオーンとハンドルを切り、うなるようなエンジン音を上げて走り去るベンツ。

僕はとても惜しいことをしたわけです。

「もし轢かれていたら」。

そう、もし僕がベンツに轢かれていたら、僕は東スポの一面に載る事ができたはずなんです。

僕ら麻布生にとって、東スポは「5時間目にローソンで買ってきて読む」くらいのベストセラー。

 

想像してみてください。「りえママ死亡」という派手なキャッチがでかでかと載る一面。

キャッチに思わず手を伸ばし、2つに折り曲げられた紙面を広げるあなた。

すると下のほうにちっちゃく書いてあるわけです。「死亡スレスレの交通事故!」

これが東スポです。

「あー惜しいことしたな」と残念がりながら僕はテレ朝を抜け、学校へと向かいました。

 

芸能人ネタ続けていいですか?

「多様性」とか言ってるけどただのミーハーじゃねーか。と思ったあなた。アタリです。

そうですね、あとミーハーな思い出として残っているのは、広末涼子でしょうかね。

「なんだよヒロスエかよ」と思ったあなた、しばしお待ちを。

まだ「クレアラシル」のCMしか出てないヒロスエですから。

六本木の路上で「色んなもの」に酔っ払って寝てたのを見た、という話じゃないですから。

 

あれはまさにクレアラシルのCM撮影だったのでしょうね。

ある日の午前。

2時間目と3時間目の間の休み時間に、岡田君が全クラスに大きな声で呼びかけていました。

「おい、ヒロスエが撮影してるぞ!」

 

気がつくと僕らは走っていました。

校門は常に全開ですから。

箱根駅伝のスタートのように一斉に路上に出るニキビ面の高校生。

まさにクレアラシル世代。

走って3分。横断歩道の向こう側にいるわけです、ヒロスエが。

そこはオサレなカフェーみたいなスポットで、よく撮影に使われているんですけど、

既にもう麻布生が人だかりになっているわけです。

横断歩道にはみ出ちゃってるんですね。

その交差点には交番があって、それこそ「コイツらにはもう言ってもムダだから」と、

普段は完全に職務放棄しているおまわりさんがいるわけですが、

おまわりさんも生ヒロスエに興奮したんでしょうかね、

「キミタチ!車道に出ない!」と叫んでるわけです。

 

10分ほどしてようやく生ヒロスエが見えるわけですね。

「おー、八重歯カワエエ!」と叫ぶ僕達。

汚いものを見る目でにらむスタイリスト。

気がつくと3時間目の授業が始まってる時間な訳です。

「おい、次なんだっけ?」とクラスの誰かが聞いてきます。

「現国だよ」「やべえな山タンかよ」「どうする?」「オレはヒロスエと心中する」。

山タンとは麻布の先生の中でも飛びきりおっかない白ひげの先生。

彼の授業でジャンプを読んでいる奴はいない、と言えば分かりやすいでしょうか。

何人かのクラスメートは帰っていきました。

僕はたしかヒロスエと「心中」する道を選んだ覚えがあります。

なぜならちょうどそのとき現国の授業で扱っていたのが太宰治でしたから、というのはまったくの嘘で、

たしか森鴎外だったとおもいます。

でもね、森鴎外もね、ドイツで女と遊んでるわけですからね。

 

さて、ヒロスエ現場に残った奴らの中でもすごかったのは近藤という男で、

奴は美術部だったので、普段からオーバーオールとなんだか小汚いTシャツを着てるわけなんですね。

そんでその近藤がどうしたかと言うと、ADのフリをして撮影現場に入っていくわけです。

Tシャツにペンキとかついてるから、大道具に見えないこともないんですね。

麻布でもっとも尊敬されるのは、この近藤のような行動をとる人間だったような気がします。

 

「ヒロスエと心中する!」と息巻いていた僕達も、結局途中でヒロスエに飽きちゃって学校に戻るわけです。

学校に戻らずにローソンにいっちゃうやつもいたのですが、

僕たちはたしか15人くらいでゾロゾロとクラスに戻っていきました。

教室の後ろのドアを開けて入っていくと、山タンが怒鳴るわけです。

「お前達どこに行ってた!」

するとある奴が応えるわけです。

「ヒロスエを見に行っていました!」

堂々としたその素振りに感銘した山タンは

「そうか!かわいかったか!」

と我々の行動を称えた、というのはまったくの嘘で、

確か出席簿で一人につき二三発ひっぱたかれた覚えがあります。

 

ここまでヒロスエについて熱く語ったところで僕は、

「麻布は多様性を尊重する組織である」という定義を大きく揺るがせるかもしれない

事実に気がつきます。

そうです、この学校に女性はいません。

保健室と事務室におばさんがいるだけです。

ジェンダーダイバーシティと一線を画した風土に僕たちは6年育ちました。

それだけにヒロスエも一層輝いて見えたのでしょうね。

 

あー、長くなりすぎちゃいました。

今日はこの辺でやめておきます。

最後に僕が通学途中に見た一番印象に残っている芸能人の話をひとつ。

 

中国大使館沿いの歩道を歩いていると、前から金髪の老人が歩いてきます。

ポケットに手を突っ込んで、肩を怒らせながら、口笛を吹いています。

彼が誰であるか、気がついたときはすれ違う寸前でした。

そう、今をときめく「男の殿堂」内田裕也でした。

「あ、内田裕也だ!」と一人僕が叫ぶと、彼は後ろを振り返って僕を一にらみし、

また口笛を吹きながら、六本木方面へ去っていきました。

僕は後ろ姿を見送りながらひとりごちたわけです。

「やっぱロケンロールだぜ」。

 

それから何年かして、彼は都知事選に立候補し、

伝説的な政見放送を僕達に見せ付けてくれました。

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